「もうアニメなんかつくるのはやめてくれ」

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慣れない東京での大学生活のときにふと見たアニメで軽音楽部の女子高生たちのキャラクターがいきいきと動き回る姿はまるで高校時代の自分を思い出すようでちょっとした心の支えだった。

社会人生活で仕事で行き詰まったときふとした折りにみたアニメは、眼帯姿の少女と元中二病の高校生が織りなす恋愛物語はラブストーリーがありきたりになった大人にとっては甘酸っぱく思わず頭をかきむしりたくなるような魅力があった。

アニメを知っている人間なら、京都アニメーションがその界隈では特別な存在であることは誰でも知っている。

だからこそ未だに今回の事件をどう飲みこめばよいのかわからない。

この平和な日本で、34人もの人間、そしてその領域ではトップクラスの才能と可能性を兼ね備えた人々が一夜にして失われてしまった。現在も苦しむ重傷者の中には未だ意識不明だったり重度の火傷で肢体切断となった被害者の方もいると聞く。

アニメなんて話題になれば見る程度だし、決して何かを代弁できるほどの存在では自分はないけれど、それでもこうしたアニメってのもすごいな、面白いなっていうきっかけを作ってくれた京都アニメーション。そこでたくさんの未来と可能性が失われた、そして歴史的にも最悪な大量殺人事件だという事実にどうしようもなく胸が締め付けられる。

今回の事件を通じてアニメを好きと言う感情よりもアニメへの憎しみが勝ってしまった。

世の中にはたくさんのコンテンツがある。

映画、ドラマ、ゲーム、本、マンガ、アート、

世界では比較にならないほどたくさんの人が目にする作品もあるし、そしてまた賛否両論となるような作品もある。

たくさんの人が見れば見るほど、当然おかしな人や過激な意見を持つ人だって一定数はでてくる。

どんな分野であれリスクはある。でもその中でも、なぜ、日本のアニメ、京アニだったんだ。

いったいぜんたいなんの彼ら彼女らはいったいなんのために死んだんだ。

人をまるでゴミのように扱って人殺しを正当化するような人権無視のゲームだってつくってたか?

目をひそめるような屈辱的な差別や社会を分断する政治的な発言だって発信してたか?

いったい彼ら彼女らが何をしたっていうんだよ。

なぁ。

その答えは、恐ろしい被害の全貌が明らかになりつつある1週間立っても未だにわからないでいる。

アニメ、中でも深夜アニメと呼ばれるジャンルは世界でも数少ない、日本固有に近い文化だ。

アニメといえば子供が見るもの、という世界の認識を覆し大人にターゲットを当てて世界でも珍しい新ジャンルを切り開いてきた。そしてそれらはいつのまにか市民権を得て、日本を代表するクールジャパンのいちコンテンツとしても世界で存在を増していった。

当初はどことなくあった世間からのアニメ愛好者への風当たりの悪さも市民権を得るにつれて変わってきたし、これもひとつの趣味なんだしいいじゃないか。一方的な偏見だって、自分だって楽しい作品があれば見るしそこまで目くじらたてなくてもいいじゃないかと思っていた。

でも、悲劇はおきた。

よくわからない理由でこじらせたオタクが、その制作スタジオに火を放ち無実な何十人もの人々を焼き殺してしまった。

目が冷めてしまった。

そうすると思い当たる要因はあちこちにいっぱいあることに気づいた。

TwitterSNSで見るに耐え得ない過激な発言を繰り返す人たちはなぜかアニメのアイコンだらけだった。

匿名掲示板では異常な熱量で過激な発言を繰り返すのはたいていアニメの愛好者だったし、

インターネットにあふれる違法ダウンロードで著作権侵害を繰り返す先頭にたつのはいつだってアニメだった。

表現の自由の名のもとに二次創作を正当化し、ときには他国であれば有罪ともなるような過激な表現の創作物はたいていアニメが元ネタだった。

そういった環境が幾年にも積み重なる中で事件は起きた。

他でもないアニメ自体の構造こそがそういう異常者や脱法的な行動を社会的に誘引、情勢しやすいリスクをはらんだシステムだったのではないだろうか。

思えば多くの人が寝静まる深夜に鬱屈した思春期時代の感情を逆なでする現実離れした作品を何度も何度も繰り返し放送し、放送コンテンツそのものでの収益化ができないばかりにキャラクターへの異常な執着心や所有欲を高めて様々なグッズで収益化をはかるというのは非常に特異なビジネスモデルだ。この世界でも例をみない日本の構造こそがこういった悲劇のリスクを生む構造だったんじゃないのか。

そんなバカな!偏見だ! 言いがかりだ!いい加減にしろ!

もちろんそう思いたい。

でも事件は起きた。

偏った意見だ、というには比較しようもない、あまりにも大きすぎる被害と事件がおきてしまった。


もう以前のように戻れない。


もし自分の家族や大切な人がアニメ業界にの仕事に関わりたいといったら全力で反対する。いつ自分の大切な人たちが逆恨みに巻き込まれて被害をうけるかもしれない。自分自身の人生や命のためだからこそ関わってほしくない。


「アニメが好きなんです、アニメがなきゃ生きていけません!笑 」


っていう今までなら、なんのことはない一言も心のどこかで警戒をしてしまう。

監視カメラに写ったあの殺人鬼の姿は悪魔のような外見ではなく秋葉原を少し歩けばどこにでもいるようなよれよれのTシャツに身を包んだ小太りの男だった。

あの人も、この人も、なんらかのはずみで生活が追い込まれたら豹変しないって誰にも言い切れない。あるいはいつか熱狂的な作品が登場し、妄想と現実の境目がなくなるなんて、もしかすると自分自身がそうならないとも誰にも証明できない。

あるいは自分もそう思われたくないので、アニメが好きだと思われたくない。いつまた今後何かの逆恨みで巻き込まれて犠牲になるかもしれない。関わらない方が身のためだ。

そう、言われても私は否定できない。

作品に罪はないけれど、今までどおり京都アニメーションのアニメを楽しみに見られるかわからない。

アニメであれば深い意図はないにせよ火事や爆炎のシーンもでてくるだろう。精神錯乱状態の悪役もでてくるだろう。事件や事故や悪役によるというのは今までなら何の変哲もないストーリーの中のひとつの緩急にすぎない。

でも、この事件を知ってしまったあとならどう見て感じていいのかわからない。もしまた作品が見れたとしても、

「こんなシーンを出すなんて事件でなくなった人の気持ちはもう忘れたんですか?」
「やっぱり生で炎を経験した人は表現が違いますね。」

といったネットで心無い言葉に晒される姿は容易に想像できるし、そういったやりとりを見て関係者が心を痛めるのも辛い。

じゃあそういったシーンを除外する、排除するそれはほんとにクリエイティブっていえるのか? それはもはや何かに歪められた作品なんじゃないか?

そもそもこんなにも甚大な被害をうけて、まだなお、同じように立ち直ってくれって言えるのか。

昨日まで隣に座っていたあの人が死に、向かいに座っていたあの人が死に、そして後ろにいたあの人も焼けて原型すら留めず死んでなくなってしまった。

あの人はアニメーターに必要不可欠な腕や脚をを火傷で切断することになった。

笑顔がかわいかったあの子の焼けただれた顔はもう一生治らない。

製作会議でそういったシーンが出るたびにあのトラウマが蘇り生存者を苦しめる。

頑張ってください!応援してます!と駆け寄ってくるファンたちはあの憎き小太りの赤Tシャツと見分けがつかない外見だらけ。

さぁ、気持ちを切り替えていままでどおりやっていこー!

言えるか?

もし、自分の会社でそんなことがおきたら私は耐えられない。わたしは発狂してしまいそうだ。

そんな中で、新しい作品を期待したいです! 頑張ってください!というの励ましなのだろうか? それともまだ彼ら彼女らを地獄へ引き留める残酷な言葉なのか?

あまりにも事件が凄惨すぎて、理解できなすぎて、どうしていいのかわからない。

いったい彼ら彼女らは何の為に生きて死んだんだ。

アニメーターが他の業界よりもひどい労働環境だってのは誰もが知っている話だ。それでも自分たちはそこでやりたいことがあるからって飛び込んできた夢ある若者が食うも食えないで打ち込んで必死に生きた結末がこんな結末かよ。ひどすぎるよ。あんまりだよ。

こんな苦しみを味合わなければならないなら、そんな危険があるんだったら、最初からアニメなんかないほうがよかったんじゃないか。あるいはやらせない方がよいんじゃないのか。

多くの犠牲者はそれでも私は最後までアニメが好きだったって言って悔いなく逝けたのか、残った生存者はそれでもまだ私はアニメが好きって言ってくれるのか?

我々は創作やクリエイティブに関わる人間は多少の困難や苦痛があっても表現を発信したいはずだ、だから多少のリスクや苦痛をを受け入れてもクリエイティブを発揮して発信しなければならないという周囲の押し付けによって、彼ら彼女らをリスクにさらして追い込んでしまってたんじゃないか? 日本社会はそのリスクと現状を無視して放置し続けたんじゃないのか?アニメは日本を代表するコンテンツ、クールジャパンだからってその負担を押し付けてしまったんじゃないのか。

そしてまたっこれからも変わらず同じように続けるのか? 結局、日本でそして世界でいつの日か、また第2第3の京アニ事件がおきてしまうんじゃないか?

金も出したぞ!応援もしてる!今までどおりの京アニ作品を期待してるぞ! さぁ、期待にこたえて頑張ってくれ!なんせ日本一のアニメスタジオなんだからな!

どうして彼ら彼女らだけがそんな地獄を味合わなきゃいけないんだ?  落ち着いたら席に戻って今までどおり変わらず仕事をしてアニメをつくって俺たちを楽しませてくれ、ってどうして言えるんだ?

こんなひどい結末があるって知ってるんだったら、なんでいつまでも彼ら彼女らを開放させてやらないんだ。

だれかが関係を絶ちきっててあげないといけないんじゃないか?

そう言ってあげることこそ、今、必要な本当の優しさなんじゃないか?



そう




「もうアニメなんかつくるのはやめてくれ。」

 


って。