このブログについて

会社経営をしていると、自由に発言がしづらいという弊害がある。

 

「※この発言は個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません。」

 

トップの発言は基本的に組織の公式見解になってしまうのでこのような言い逃れができないからだ。

 

やれ日々是感謝など当たり障りのない記事をかいていれば、問題ないのだけれど

 

残念ながら私にはそんな無味乾燥な内容を書くことに自らの精神性が耐えられないのである。

 

最近ふと思い出したかのように数年ぶりにブログを書いてみたら普通にホットエントリ入りした。


社会に一石を投じ、賛否両論を巻き起こし、社会を煽動をすることは、楽しい。

社会的地位や肩書に影響されず、単なる言葉そのものを持ってして多くの人々の常識や思考の隙間を突き、物事の見方を転換させるのは自らの社会における存在価値を再定義させてくれる。

 

本当にスポーツが好きな人が、それを厳しい練習ではなく遊びだと思っているように、

プログラミングが好きな人が、それを憂鬱な仕事ではなく趣味だと思っているように、

私にとっては文章を書くことは、それ自体が比類することのかけがいのない生きがいなのだ。

 

しかし、身体が時間の経過とともに成長するように、精神もまた同じように成長する。

 

足が早いことこそ人間として価値があると思っていた子供が、青年になっても同じ価値観をもっていることがないように、精神は大きく成長しているべきなのだ。

 

その上で、過去のブログは学生時代から含め8年に渡って書いてきた文章の連なりとなり、いくぶん現在の自分からすると見るに耐えない稚拙だと思うようなものがでてきた。仕方がない。人は誰しも成長するのだ。

 

その上で文章を書く際にに過去の記事との整合性が気になるようになってきた。

 

数年前の過去の記事といってしまえば、それまでなのだけれど、時間軸のないブログという媒体であれば見る側にとって、それは必ずしもわからない。その事実自体がなにか現在の価値を貶める可能性があるとしたらいささか執筆意欲を削ぐというものだ。

 

というわけで、過去の事実は変えることはできないけれど、気分転換に新しいブログをつくることにした。

 

新しいタイトルは「曲学 a say」だ。

 

 きょくがく-あせい【曲学阿世

真理にそむいて時代の好みにおもねり、世間に気に入られるような説を唱えること。真理を曲げて、世間や時勢に迎合する言動をすること。

 

【 a say】
発言権,発言の番[機会] ,言い分

 

という言葉を組み合わせて

 

「今まで当たり前だと思われていた真理を捻じ曲げ、世間に迎合して自らの言い分を世に問い社会を煽動する」

 

をミッションに好き勝手に発信していくというのがこのブログの存在意義である。

 

物事は何事もはじめが大事だ。まず、言葉あれ。なのだ。

 

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